つまるところ、日記BBSの過去ログです。各記事の見出し部分のナンバーは記事個別表示のアンカーとなっています。
ほっほっほっ。おもしろいよ。
おお、見てる人がいるのだなあ。
首領は勝手に「エピソード1」としてますけど、いずれ今までの流れにつながる逸話が登場するかな、と期待もしつつ。
海外に住んでいる友人が語るには、水戸黄門の何がおもしろいかっていうと、人情話だそうで。勧善懲悪なんかより、それぞれのエピソードの「涙ほろり」という部分がいいのだそうだ。なんでも、彼が住んでいるところでは、アクションものやファミリーものばっかしで、こういう人情ものはTVで放送されてないらしい。で、普段は気にもとめないらしいのだが、時々無性に「水戸黄門」が見たくなるのだそうだ。なんでも、日本人の血が騒ぐ、らしいのだが…というわけで録画でもしといてやりましょうか。
ペアで用ゐられる役物は、ペアで入力する
白状するが、この方法(含む、abcdって書いてから読点を打つ)は便利だあっ。と、つい昨日あたり悟ったのです。
先に文章がある程度完成してないといけないけど。思考しながら書くときは、カナかなキーと英数キーを行ったり来たりのほうが好き♪
健康な人の健康法は、ほとんど役に立たない。
病弱な人の健康法は役に立つかもしれない。
病気したことのない医者は駄目かもしれない。
iーMac(MacOS9.0.4)を利用しているのですが、先日もともと入っているNC4.7が起動しなくなってしまったので、雑誌付緑(あちゃら)のCD-ROMからNCをインストールしようとしたところ、うまくセットアップができませんでした。
うーむ。NC4.7をあきらめて、MacIE5にするっていうのは……。
そういや、私もずーっとNetscape使いでありました。MSの作ったものなんぞ…(というか機能拡張多すぎた)、という感じでIEを嫌っていたのであります。ところが、ありみかさんとこがNetscapeのスタイルシート対応を打ちきった時に、はて、ではIEではどう見えているのかいね、という好奇心がMSに対する嫌悪感に打ち勝ち(ちゃんと見えてないかも、時代に取り残されたかも、という不安だったかも)、MacIE5をインストールしたわけです。
ま、使ってみりゃなんのことはない、なんで今までNetscape4なんかにしがみついてたんだろう、ああ私が馬鹿だった、と反省した後、メインブラウザとして活躍いただいております。さらに、気づきもしなかったCSSや正しいHTMLに出会い、目に入った鱗が耳から取れたような新鮮な気がしたのも事実でございます。
ありみかさんがいなければ、未だにNetscape4でテーブルレイアウト万歳を叫び続けていたことでしょう。ありみかさんはカナかな団の恩人でございます。カナかな神社に、祀っちゃうであります。んでもって、公式参拝しちゃうであります。
まとまりがないです。まあ、Netscape4しか使ったことないMacユーザーは一度IE5を試してみても良いのではないでしょうか、ってことで……。
<!-- もちろん質問者がIE5を使ったことがない、と決めつけてるわけではないでございます。質問者はIE5以外にNC4.7も使用したくてインストールしたいのではないかと解釈いたしております。それから、好きだからNetscape4使ってるてのはとても妥当な理由だと考えております。 -->
- 【自尊】
- 自ら尊大にかまえること。うぬぼれること。
- 【自尊心】
- 自尊の気持ち。特に自分の尊厳を意識・主張して、他人の干渉を排除しようとする心理、態度。
おお、なんと素晴らしい正論だ、私のこのスマートでカッコイイ意見。反論できまい。はっはっはっ。高笑い。世の中に私に敵う論客などそんざいせんわっ。なはなはなは。笑い。
と、声高に叫んでいたら、「あのう、そこ間違ってますよ。」と指摘され、途端に耳まで赤くなることが間々あるのでございます。それまでの自分を全否定されてしまったかのようで、まさしく自尊心が傷つけられたというような状態です。
と、とりあえず、何か言い返さねば……、慌てふためきしどろもどろで言い訳のような、ごまかしまようなセリフを吐いてはみたものの、見解や意見の相違ならともかく、誰の目にも明らかに間違いであるものの弁明など出来ようもなく、怒りに燃え上がったまま退場するのでございます。
そんな間違いなら、こそっと耳元で囁いてくれれば良かったのに、とは思うものの、公の場で思いきり「間違い」を指摘されてしまったのでございます。<!-- もちろん声高に吠え続けていなければ、余計な恥をさらすこともなかったのでしょうが。 -->
自尊心を保ったままでいようとすれば、自分に嘘をついてでも、言い訳、弁明、虚しい反論を続けなければ、足元からがらがらと崩れていくような気がしたのでございます。
では、どうしたら良かったのでございましょうか。
明らかな間違いを指摘されたのなら、謝意を示すのではなくて、謝辞を述べ、自らのその部分に関する無知を認めてしまうのが良かったようにも思えるのでございます。ただ、感謝の意を表わしてお終いでよかったようにも思えるのでございます。
本論の内容についての反論や違う意見ではなく、単なる表記方法についての間違いの指摘だったのですから、それは粛々と受け止め、以後改めればそれで良かったように思えるのでございます。
その上で、内容についての批判には、改めて臨むということにすれば、自尊心の傷を最小限に食い止めることができたのかな、と思うのでございます。