カナかな団の躁鬱

つまるところ、日記BBSの過去ログです。各記事の見出し部分のナンバーは記事個別表示のアンカーとなっています。



日記

281 桃太郎

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2002年03月12日 12時05分

下の娘(2歳+)は、寝るとき「お話」を要求するため、毎晩「桃太郎」を上演している父(カナかな団首領)としてのご意見。

イヌとサルについてはなんとなくわかります。しかし、鬼と戦闘する上でキジがいったい何の役に立つというのか。

キジは主に偵察と斥候であります、閣下。実際の戦闘においては、突く攻撃を繰り返したようでありますが。効果のほどは不明です。

しかし、本来キジには重要な任務がありまして、それは、鬼ケ島上陸後、橋頭保を築くため、鬼ケ島基地の城門突破作戦の際、城門をロープを持って飛び越え、サルを城門内に誘導するという任務でありました(城門の表面が滑るため、サル単独では登れないのです)。ええ、彼(キジ)は立派に任務を果たしましたとも。

282 ISO、JIS、JAS

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2002年03月12日 20時04分

ISO、JIS、JASで比べると、JASが一番権威が無いという話を読んだような気が。たしか、多くの食品会社では、JASにあまりに権威が無いので、見限ってしまったということで、JASマークがついた商品の数が激減しているという話だったような、違うような(金がかかる割に効果が薄い話だったっけかな、というわけで、この記事、好い加減に書かれてますので注意)。

関連:【gobbledygook/debris+diary/〜2002.03a「2002.03.13 ISO,JIS,JAS(2)」

283 address要素

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2002年03月13日 18時57分

ただし、このモデルでは、文書末尾にナビゲーションやフッタを置く場合、そのための見出しが必要になります(でないと直前の見出しセクションの一部となる)。

ってことなので、Shock-O-Day!! 内のISO-HTML文書にはaddress要素を内包するdiv要素やナビゲーション関係の要素の直前に見出し要素を追加してみました。もっとも、body要素内に見出し要素としてh1要素しかない(!)ページの場合は、以前のままですけれど。

とはいえ、フッタの直前に見出しを置くというのも、スマートじゃない(格好良くない)気がします。やっぱり、body直下の一番最初(或いはh1要素の次か?)にフッタ要素やナビゲーション要素が出現するほうがスマートな書き方かなあ。(諄い書き方にはなるけれども、address要素は各セクション毎に出現する方がベターなのかも、やっぱし。)

284 ウマとかヒツジは用無し

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2002年03月15日 17時57分

桃太郎の部下について。

なぜ、サルとトリとイヌなのか。

それは十二支に答えが隠されているのであります。

成る程。

ところで、鬼ケ島の位置というのは、桃太郎のいる村から北東の方角ということになるわけで、北東に進んで山を越え、海岸に到達、そこから船で海を渡ったところにある島というと……。

285 〜系

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2002年03月15日 20時05分

現代日本語では「〜系」とついたときには、「サイト」を用い、ある特定のサイトを指し示す場合には「ホームページ」を用いているのではないだろうか、などと推測。

おお、なんとなくそうなのかもしれん、という気がしてきます。しかし、

ということは、どういう場合でも「HP」と呼ぶのが一般的ということで……。

286 何故かISO/IEC15445

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2002年03月16日 14時37分

The Web KANZAKI.】の403 Forbidden で表示されるページ(例えば【http://www.kanzaki.com/parts/】)って、何故か ISO/IEC 15445 なのですねえ。404 Not Found なページはXHTML 1.0 なんですけれども。

287 バナー Banner

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2002年03月16日 16時17分

The Web KANZAKI.】のXHTMLバナー を真似して作ってみる。

うーん、フォントの種類によってはガタガタかも……。

288 ネスケを捨てて、街へ出よう

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2002年03月16日 16時50分

結論。
どうせ私が「ネスケ推奨」といっても、IEで見ている人はそのままでしょ!?
フォントなんかも変えるわけ無いよな。

素晴らしい。ここまで来たなら、もう1歩です。さあ、勇気を出して、前へ進みましょう。前へ進んだ結果どうなるか、責任は取れませんが。

289 正しい日本語とか

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2002年03月16日 18時33分

ちょっと別の視点からすると、日本にいる外国人に日本語を強要するということは、日本人が外国人の<いいたいこと>を理解する努力を怠り、日本語の社会の中に組み込もうとしている、ともいえるかもしれません。

ちょっと別の視点からすると、Web上のサイトにW3Cの勧告を強要するということは、閲覧者(UA)が不思議マークアッパーの<いいたいこと>を理解する努力を怠り、W3Cの推奨するstrictな社会の中に組み込もうとしている、ともいえるかもしれません。

というか、世界中どこへ行っても母国語で通じるなら、それに越したことは無いけれど、無理だと思いますが。

同じように、現代的な言葉を「正しくない、おかしい」という人々は、そういう言葉で表現される新しい概念・経験を理解する努力を怠っていると言わざるをえません。

新しい概念・経験がPublicなDTDとして公開されているなら、なんの問題も無いとかいう意見がありそうですが、それはともかく、新しい概念・経験が、未だ、日本語を使用する範囲に広く一般的に認知されうるものとなっていない可能性は捨てがたく、限られた範囲で使用するなら問題も無いでしょうが、公の場で使用されれば、正しくない、おかしいという意見が出ることになるのは仕方ないと思います。

そんなわけで、日本語にかかわる試験に携わっている人々が「人と会うときはどのような服装で行くべきか、態度は、声の出し方は、なども総合的な『日本語の能力』だ」ということを平気で口にするとき、私は、「一体この人たちは、どこまで他人を杓子定規に縛ったら気が済むのかな、どれだけ『できない人たち』を作り出したら気が済むのかな。そうそう、あなたたちは自分の頭の中にある<社会>以外を理解する気がないのでしょ?」と思わざるをえないのです。

言語はコミュニケーションに不可欠です。で、この場合、会話をするものがほぼ等価の<社会>を持っていないとコミュニケーションが成立しません。同じ<社会>を頭の中に持っている1対1であれば、或いは違っていても、どちらかの<社会>を相手に説明すれば、コミュニケーションが成り立つかもしれません。しかし、1対多となり、その「多」の<社会>が貴方の<社会>と違っていると想定される場合、貴方の<社会>を説明するより、既にある<社会>を利用するほうがシンプルで簡単です。

何より<社会>は、多分、頭の中にしかなく、現実には存在しないのです。そこで、一般的な頭の中<社会>を想定しながら、コミュニケーションせざるをえず、それは最大公約数的なもので、おそらくそこには新しい概念・経験などは含まれなくなるものなのです。よって、新しい概念・経験までをも含めた<社会>を想定するものから見れば、何故正しくない、おかしいと言われるのか不思議で仕方ない結果になるのだと思うのです。

そんなわけで、Webにかかわる諸々に携わっている人々が「Webサイトを公開するときはどのようなDOCTYPEで行くべきか、CSSは、ユーザビリティーは、なども総合的な『Webサイトの能力』だ」ということを平気で口にするとき、私は、「一体この人たちは、どこまで他人を杓子定規に縛ったら気が済むのかな、どれだけ『できない人たち(不思議マークアッパー)』を作り出したら気が済むのかな。そうそう、あなたたちは自分の頭の中にある<勧告>以外を理解する気がないのでしょ?」と思わざるをえないのです。

まあ、逆に言うと、頭の固い聴衆(レガシーなUA)のために新しい概念・経験(XMLとか)が使えないのは馬鹿げている、という話にも解釈できなくはないのですけれど。

290 Baum Kuchen

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2002年03月16日 19時01分

バウムクーヘンっておいしいな。


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