カナかな団の躁鬱

つまるところ、日記BBSの過去ログです。各記事の見出し部分のナンバーは記事個別表示のアンカーとなっています。



日記

621 運転免許更新

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2003年03月12日 19時25分

ま、それでも運転免許は身分証明書としては有用なので、休暇を取って5年ぶりに更新してきた。ゴールド免許は最寄の警察署でも更新できる。簡単な視力検査のあと、署の隣のマンションの一室で、和室に置かれた椅子につくねんと坐って20分ばかりビデオを見て、はいおしまい。これで一ヵ月後には新しい免許が手元に届く。

身分証明書となるものって、運転免許証以外に健康保険証とか米穀通帳(まだ有るのか?)とか、母子手帳(これもイケるのか?)あたりかなあ。職業によっては、もっとましなものがあるのでしょうが。

ところで、新しい免許って即日交付じゃないのですか ? 地域によって違うのかしらん、うーむ奥が深い。

参考:【更新手続きについて

622 ライダージャンプ

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2003年03月15日 19時20分

カナかな団首領は、ライダーである。暫くバイクに跨がっていなかったりするし、運動不足で体力低下しているけれど、ライダーである。

去年あたりから、一般公道の舗装路を走るのがつまらなくなってきて(いくら全開にするったって、限度あるし)、原点に戻って、山の中を疾駆する方向へ(まあ、一般公道に比べれば、全開走行の許容度が高いので)偏向しているわけですが、今のところ首領のマシーンは YAMAHA TT250R などという骨董品なのです。出来は悪くない(林道を走るなら足回りも許せる範囲)のですが、なんたって設計が古いので、重い、前後重量配分もよろしくない、エンジンにパンチが無いのがタマにキズ、タイトコーナーでは、高回転を維持しつつ走るため、好く言えば「セナ走り」、普通に見れば「珍走団爆音走り」になってしまうのがなんとも。2 サイクルのキレのいいマシンが欲しい気もするのですが、おっさんライダーとしては、燃料給油の際の手間(混合にせにゃならん)とか、R のでかいコーナーが連続した場合の 4 ストのエンブレは楽ちんだ、というのもあって、しばらくは 4 ストマシンてことになるでしょう。

で、先週、友人と高鈴あたりを走ってきまして。半年近く乗っていなかったので、リハビリ走法だったのですが、その帰り道。久慈川沿いの堤防をぶわーと走って帰る途中、堤防が多段形になってまして、テーブルトップの登りだけとでもいいましょうか、そこを、友人の CR はピヨーンと軽く飛ぶわけですよ。ふんふん、久しぶりだが、TT250R お前も飛べっ、と私は昔日の感覚を思い出しながら、それ、ピヨーンと……。

うあ。予想外に高く舞い上がるではないか。うげ TT250R フロント重い……。そういや、TT でこんなにジャンプしたの初めてじゃん。このままでは、前方宙返り、燃焼系アミノ式になりそう。

そう思った私(首領)は、空中で姿勢制御すべく、体を動かしましたが、歳には勝てません、足がつり、激痛が走ります。が、そこは昔とった杵柄、アクセルを煽って、後輪を回転させジャイロ効果により、リアを落としバランスを取ることに成功。ふむふむ、まだまだ捨てたもんじゃないな、と、片足つったままニヤケたのでありました。

いや、どうという話ではないのです。ピヨーン病にかかったかもしれません。もっと楽に、ピヨーンと、飛べるマシンが欲しいなあ、ピヨーンて。

623 サービスカウンタの中の人

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2003年03月17日 16時39分

DIVE】の制作者スタイルシートは、ここのところグリーンディスプレイを模しているようです。その昔は、目に優しいとかで、緑色 CRT 全盛だった時代があったのですが、今見ると、眼がチカチカしますね。色温度 5000°K のガンマ 1.8 、1670 万色カラーでデスクトップパターンはグレーなんつーのが、個人的には楽です。

扨、その DIVE に書かれていた話。巧く要約出来ないので、全文引用。

こないだ圖書館行つたんですよ、圖書館。そしたら南國のサルがもとへ子供がキヤツキヤキヤツキヤと相變わらず騒いでゐたがもう慣れた。そんなことより聞いてくれよ。
私が行つてる圖書館には「返却」と「貸出」のカウンタがあつて、その「貸出」のカウンタにこんな事を書いた紙が下がつてゐたのだ。

となりのカウンターでも貸出できます

實はここの圖書館では返却も貸出もどちらのカウンタでも出來る。「返却」「貸出」と言ふのは恐らく單なる名称に過ぎない。わたしは「返却」カウンタでも貸出してもらへる事は知つてたので最初見たときは「何だこりや」と思つた。なんでわざわざこんな張り紙してるのかと。しかししばらくしてこのビラの意味が分かつた。兩方のカウンタに司書が居ても、「貸出」にだけ客が並んで、誰も「返却」のところに行かうとはしない。さうなると「返却」側の司書が「こちらにどうぞ」と並んでる客に呼び掛けてゐた。言はれて後の客は漸く「返却」のカウンタに貸出の手續きに行く。甚だしい時には「返却」のカウンタには司書が居て「貸出」のカウンタには誰も座つてゐなくても「貸出」の方に客は並ぶ。「貸出」に客が居るのを見て「返却」の司書が「貸出」に行く、と言ふ塩梅。つまりこの張り紙は「返却」でも貸出は出來ることを知らない客に對しての周知と言ふわけだ。

呆れた。圖書館にではない。客にである。

スーパーとかなら客が並んでないレジに向かうでせうに、何故「貸出」のカウンタにしか行かないのか。人も居ないカウンタの前で思考停止してぽつねんと立つてる暇があつたら先づ「返却」のカウンタに行つて「ここでは借りられませんか」と尋ねてみたらどうですか。

その程度も考へが及ばない帽子の臺でしかないやうなどたまぢや本を讀むだけ無駄と言ふものです。

松風 - 今の言葉 】で、 返却カウンタで貸し出しできるのなら、「貸出・返却カウンタ」とでも書いておけばよろしい と、単純に結論が述べられていますが、ここでは、 何故「貸出」のカウンタにしか行かないのか を考えてみましょう。つまりは、『そのアクションでどういう結果が期待できるか』を考慮した上でのユーザーの行動というものを考えてみましょう。

簡単な例を挙げます。煙草を買おうと思っているユーザーは、ジュースと煙草の自動販売機のどちらにコインを投入するでしょうか。大抵は煙草の自動販売機の方です。ジュースの自動販売機にいきなりコインを投入したり、ジュースの自動販売機に向かって「こちらでは煙草の購入はできませんか」と尋ねたりはしません。ユーザーは、ジュースの自動販売機にコインを投入したり、或いは尋ねてみたりしても、煙草が出てこないのを知っているからです。何故か。それは、既成概念や慣習により、煙草やジュースの見本のある自動販売機は、その見本の実物を販売するだろうという予測を立てているからです。

パソコンでシステムを終了する時には、『システム終了』と書かれたボタンをクリックします。『再起動』や『キャンセル』はクリックしません。何故か。『システム終了』という選択肢こそがシステム終了なのであり、『再起動』や『キャンセル』では同様の結果が得られないであろうことをユーザーは予測するからです。『再起動』や『キャンセル』のボタンに「ここでは終了できませんか」などと尋ねてみたりはしません。『システム終了かもしれない』『再起動かもしれない』『キャンセルかもしれない』ボタンであれば、全てを試す(つまり尋ねてみる)可能性はありますが。

つまり、「貸出」「返却」と書かれていれば、書かれた内容の作業が実行されるのをユーザーは期待するのであり、書かれていない内容の結果を求めたりはしないだけの、分別があるのです。その分別に従い、ユーザーは貸出なのに「返却」のカウンタに並んだりはしないのです。

もっとも、これは、相手が機械というシステムなので、無用の混乱を避けるため、ユーザー側が譲歩しているともいえます。そういうシステムは融通が効かないことを、既成概念としてユーザーが受け入れているからです。もっとユニバーサルなシステムなら、ジュースも煙草もシステム終了も同じ自動販売機やパソコンのたったひとつのボタンを押すことにより、ユーザーが望む結果が正しく得られるはずですが、現状では出来ない相談であることを多くのユーザーが受け入れているというわけです。

しかしであります。相手が機械というシステム、つまりは、中身の見えないブラックボックス的システムであるから、ディベロッパー側が用意した選択肢に、ユーザーは従順になるわけで、中身の見えるシステムであったり、もっとユニバーサルなシステムを仲介して行動する場合には、従順である必要性は低くなります。例えば、私の部下に煙草を買ってくるように命じれば、どの自動販売機にコインを投入するかについての問題は、私の手を離れます。もちろん、私の部下が「ガキの使い」ではない場合に限りますが。更に部下ではなく、自動販売機の前に店員が立っていれば、店員にコインを渡すことにより、部下を使う場合と同様、コイン投入の問題に頭を悩ませる必要は無くなるわけです。

部下や店員は、人間です、大抵の場合。そして人間は、おそろしくユニバーサルなシステムです。無理な要求にも可能な限り結果を出します、「ガキの使い」以外は。「ガキの使い」としつこいですが、「ガキの使い」は人間でありながら、汎用性が低く、単機能専用システムなので、人間とは別に扱う必要があるからです。

扨、件の図書館のサービスカウンタは、中身の見えるシステムだろうと思われます。サービスカウンタの中の人がいて、作業を行っていると思われます。目隠しがしてあって、小窓しか開いていないのなら、ブラックボックスと化しているので、「貸出」「返却」の表示に従順にならざるを得ませんが、中身が見えるシステムで、そこに人間がいるのなら、 ここでは借りられませんか と尋ねてみるのは、有効な選択肢であるはずです。然るに、 何故「貸出」のカウンタにしか 並ばないのでしょう。それはひょっとしたら、図書館のサービスカウンタの中の人は、ユーザーにとって、「ガキの使い」としか思えていないのかもしれません。融通の効かない、機械と同じ単機能専用システムと認識されてしまうので、「貸出」「返却」の表示に従順になっているのではないでしょうか。

高度に分類され、たくさんの窓口を並べる役所や総合病院 <!-- ちなみに私の知っている病院では、総合受付→各科受付→診察→治療→会計→精算→予約→薬局とおそろしいほど窓口が分類されていて、全てに「ガキの使い」が常駐しています。 --> では、全ての窓口が単機能専用システム化され、窓口を間違えると一からやり直しとなります。こうしたパソコン的システムに慣れたユーザーは、無用の混乱を避けるため「貸出」「返却」の表示に従順になっているのではないでしょうか。現在の社会では、多くのユーザーにとって、サービスカウンタの中の人は「ガキの使い」でしかないのです。中の人が「ガキの使い」ではなく、ユニバーサルな人間であることをユーザーに知らしめるには、「貸出」「返却」の表示を「貸出・返却」に改めなければならないのです。それが、一般に、ユーザビリティーと呼ばれているものの正体であったりするような気もします。

確かに、便利なようで便利でないのです、現代のシステムの多くは。サービスを受けるはずのユーザーが、実はディベロッパー側にサービスしているという事実。そしてそれは、或る意味、思考停止と言われても仕方の無い行動に映ることなのかもしれません。

<!-- 「無用の混乱を避ける」というのが、もうひとつのキーワードのような気もしますが、訳分からなくなったのでお終い。 -->

624 ガキの使い

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2003年03月18日 02時28分

ガキの使いと言えば、下の娘がそうである。お使いに行きたがるが、あまり役には立たない。

ジュースを買いに行かせるとしよう。金額はきっちり渡さねばならない。通常なら 120 円。お釣りが有ってはならない。まず、彼女は計算が出来ない。よって、お釣りが出てきても、お釣りが正しい金額であるかどうか判断できない。そもそも、持っている金額が合計幾らなのか分かっていないし。さらに、お釣りがあると問題なのは、チャリンと釣り銭返却口にコインが戻ると、そっちに気を取られ、商品を忘れる可能性、或いは商品に気を取られ、釣り銭を忘れる可能性があるという点である。それを避ける為に、きっちり 120 円渡さねばならないのだ。

また、自動販売機の設置状況により、購入可能な商品は限られてくる。コイン投入口には、どうにか手が届くので、何らかの商品を購入できる可能性は高いのだが、全ての商品が選択肢に含まれるわけではない。商品選択ボタンの配列により、彼女が選択できる商品は、ボタンの最下段にある商品のみである。中段や上段には手が届かないからだ。しかも彼女の目線からでは、サンプルがよく見えず、どれが何の商品なのか巧く識別できない。もっとも、字が読めないので、模様が分かっている商品しか、そもそも購入対象に指定できないわけではあるが。

というか、一人では行かないので、結局のところ父親同伴となり、お使いでもなんでもないのだが、とにかく、一所懸命背伸びして、ボタンを押している姿は、可愛いのである。わはは。

625 戦争回避

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2003年03月18日 14時59分

戦争するには、宣戦布告のようなものが必要なのでしょうねえ。言うこと聞かないと、これから攻撃しますよー、のような。ならば、言うことを聞くか、始まる前にいきなり戦争に負けちゃえば、戦争にはならないのだろうな。まあ、負けるが勝ちと言うしなあ。

戦争というのは、或る攻撃に対して、反撃を行うと戦争になるわけで、反撃が無い時は戦争とは呼べないよなあ。ただの、空爆とか攻撃と呼ぶのか……。それとも、宣戦布告があれば、戦争と呼ばれるのか……。

ところで、憲法上の理由で戦争を行えない国に対して、宣戦布告するのは、どうなんだろう。宣戦布告してもいいのかなあ。駄目なのかなあ。というか、宣戦布告されちゃったら、どうするのだろう、我が国は。

626 もしもし、あのね。

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2003年03月26日 03時17分

もしもし、あのね、パパ。あのね、なっちゃんね、ママがお米がないから、ごはん食べてくんだけど、『まっく』だから、何がいい?

え、夕飯ないの?

あのね、なっちゃんがね、『まっく』に行くって言ったからね、ごはん食べてくんだよ。パパは、何がいいの?

あー、ハンバーガーでいいよ。

あのね、ハンバーガーね、なっちゃんも好きだよ。パパもハンバーガーが好きなの?一緒だね。あのね、おねいちゃんは、パパがお昼、『まっく』のね、食べたからね、違うのがいいんだよってね、言ってたんだよ。

あー、あー、ハンバーガーでいいってば。

もしもし、あのね、パパお昼食べたの?もう、夜だからね、夜ごはんなんだよ。なっちゃんね、『まっく』来たから、なんか買ってくんだよ。おねいちゃんが、電話代わるって、でもね、なっちゃんね、『けいたい』ね、貸さないの。あのね、『ふんっ』って言ったんだよ。

あー、えー、あのー、ハンバーガー……。

あのね、なっちゃんね、パパに電話でお話ししてね、何、食べるーって聞くの。おねいちゃんがね、パパ、『まっく』食べたから、暗くなったら、もう『まっく』いらないの、って言うから、なっちゃんね、『けいたい』で電話するって、ママに言ったんだよ。じゃね。バイバイ。

……バイバイ。……って、ハンバーガー……おーい。

627 メモ font-family

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2003年03月26日 05時24分

Camino 0.7 J にしてみました。どうということは、ありません。

Chimera というか、Camino で気に入らないのは、デフォルトのフォントに「ヒラギノ」を指定した場合に、【ねこめしにっき(2002年11月19日) 】で書かれていますけれど、ディセンダが大きいので、border-bottom が思いきり離れてしまったり、なんとも格好悪い点です。とりあえず、User Style Sheet で、body の font-family に Lucida Grande とヒラギノの両方を指定して疑似的に回避したりしてますが、Author Style Sheet にて font-family : serif ; や font-family : sans-serif ; なんて指定があると、User Style Sheet の効果は消失、はるか下方に border-bottom が出現したりして、少々残念だったり。まあ、UA デフォルトのフォントにヒラギノ指定するの止めれば好いのですが、ヒラギノが格好良いだけに、捨て難かったり。で、自分だけでも綺麗に見られるように、font-family を指定する時は、Author Style Sheet に無闇にフォント名を羅列してみようかなと……思ったり、思わなかったり。

font-family : "Lucida Grande" , "Avant Garde" , Helvetica , "Kozuka Gothic std" , "Hiragino Kaku Gothic Pro" , "小塚ゴシック Std R" , "ヒラギノ角ゴ Pro W3" , Osaka , sans-serif ;

font-family : "Century Old Style" , "New York" , "Georgia" , "Bodoni SvtyTwo ITC TT-Book" , "Baskerville" , "Times New Roman" , "Kozuka Mincho std" , "Hiragino Mincho Pro" , "小塚明朝R" , "小塚明朝 std R" , "ヒラギノ明朝 Pro W3" , serif ;

棺桶 OS ではメインが MacIE5.1x なので、その点にも注意して、なおかつ、棺桶 OS なのにヒラギノがインストールしてあったりする場合、MacIE5.1x でも悲惨なことになるので、順番を考慮して、さらに、Safari のために英語表記も併記したりして、その割には、棺桶 OS でのアンチエイリアスが今一だったりするので、結局のところ body の font-family 指定は、怖くて出来なかったり。

628 戦争の定義

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2003年03月27日 03時25分

相互の権利義務について当事者間に意見の不一致 (difference) がある状態を紛争 (dispute/conflict) といいます。紛争当事者のいずれか一方が国内法上の人格(自然人および法人を含む)である場合を国内紛争、双方ともが国際法上の人格である場合を国際紛争といいます。国際紛争のうち、その解決に武力が使用されるものを国際武力紛争 (international armed conflict) といいます。国際武力紛争のうち、当事者双方ともが国家である場合を戦争 (war) といいます。

なるほど。911 以後、米大統領発言の「これは、戦争である」云々は、テロが犯罪行為ではなく、国家間の紛争という捉え方をしていたわけで、それは画期的な見解であったと、今さらながら理解しました。

さて、戦争放棄を謳う憲法が、外敵に対し、どの程度効力を持つかと言えば、憲法に台風上陸禁止や地震発生禁止を謳っても、自然災害から逃れられないのと同様に、そもそも何らかの国際法や規約に縛られないショッカーの類いにたいしては、ほぼ皆無ですし、法や規約に忠実な国家の、我が国に対する攻撃についても、憲法を盾に武力解決を拒むことは難しそうです。もっとも、何やっても反撃してこない、人の好い国家として、適当に恫喝しながら仲良く(或いは利用)してくれる可能性はあるかも。うーむ。

629 イラクで大規模の反戦デモ

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2003年03月27日 03時44分

カナかな団ニュース。イラクで反戦デモがあった模様です。

どっかの通信社が伝えたところによると、イラク南部より、首都バグダットに向けて、アメリカ・イギリス人を中心とした団体による、大規模な反戦デモが展開されているようです。「大量破壊兵器根絶」「フセイン退陣」「民主化」を掲げたデモ隊は、砂漠を着々と北上中で、世界中で発生している反戦デモを受けての行為と見られています。デモ隊は、至る所で、イラク当局と衝突を繰り返しており、死傷者も出ている模様。デモ行進に加わっている者の多くは、秩序立って行動しており、武装しているのが特徴的で、また、航空機まで参加している大掛かりなこのデモ隊は、首都陥落までデモ行進を続けると話しており、この先かなりの混乱が予想されますが、この反戦デモが功を奏すことを、カナかな団ニュースは祈っています。

630 SSI で Last-Modified を返す

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2003年03月30日 05時49分

Last-Modified の話題があったので、考えたことのメモ。

SSI ディレクティブを含むリソースでも、XbitHack full を利用すれば、UA に Last-Modified ヘッダを返すことが出来ますが、そうなると当然 UA は Last-Modified ヘッダと現在時刻やキャッシュの取得時刻を比較し、場合によってはキャッシュを利用することになります。その結果、Include 要素で挿入されるファイルが更新されていても、反映されないことになります。例えば、【 Shock-O-Day!! 】のように、日記等を Include 要素で挿入していると、日記は新しくなったのに、当該ファイルの Last-Modified ヘッダは古いままなので、反映されないなどということになります。そういう事態を避ける為に当該ファイルのパーミッションを 744 にしてしまうと、結局元の木阿弥、UA に Last-Modified ヘッダを返すことが出来なくなります。

そこで、Include 要素で挿入するファイルの更新日時を、当該ファイルの Last-Modified ヘッダとして返す方法があれば、巧いのですが……、首領の探し方が拙いのか、無いみたいです。で、そういう場合の Meta 要素だろ、ということで、

<meta http-equiv="Last-Modified" content="<!-- #config timefmt="%Y-%m-%dT%T" --><!--#flastmod file="Include 要素で挿入するファイル" -->+09:00">

なんて記述を当該ファイルに追加してみたのですが、役に立つものなのかどうか……。

ところで、timefmt 書式を指定しないと、うちの Apache は RFC2822 での書式に従い " Sat, 29 Mar 2003 19:47:28 JST " なんて日時表記なんですが、【 W3C-DTF 】では、" 2003-03-30T05:34:37+09:00 " というような表記を推奨していたりして、どっちでも構わないのかしらん。

ところで、記事の ID が重複していたのを発見。永続的 URI が変わるおそれがあります。というか、変わってしまいました。ちっとも永続的じゃない。ああ、失敗。


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